Site cover image

Site icon image行きたい学校プロジェクトの活動

親子哲学対話

親子哲学対話を続けてみよう

4/27(日)に開催した親子哲学対話は、大人5名、子ども4名に参加いただきました!ファシリテーターとしては、子どもたちが参加しにくいテーマになってしまったことなど、反省点がたくさんありました。何より集客の点でも難しさを感じました。それでもこの親子哲学対話を月1でも続けていこうと思っています。

理由は、この哲学対話の本質が、目指している学校像と接続しているから。

答えのない問いに向き合うことを、ここでは哲学と呼んでいます。そしてそれを「対話」で探求していくのです。こんなに手軽に、楽しく、協働で探究できる機会に私はワクワクしています。そして今日、参加してくださった皆さんと潜り込んだ「哲学対話」は「探究」という名に相応しい深くて難しくてワクワクする時間でした。

広島からこのイベントのためにわざわざお越しくださった素敵なご縁もあったりで、いつも何か始めるドキドキ不安を上回るのが、この素敵な出会いの数々だというのもあり、月1回はこの哲学対話をしようと心に決めた帰路でした。

どうして勉強するの?

今回のテーマは「どうして勉強するの?」でした。

皆さんは、お子さんにそう尋ねられたらどう応えますか?今回の哲学対話では「学校で求められている勉強が、生活の中で、また社会に出ていく中で最低限必要なことであるということは、大人も子どもも理解している。ただ、その勉強への向き合い方で、勉強が苦痛になってしまうことがあるが問題ではないか」という話になりました。

管理される勉強、自分で選べない勉強、難しすぎる・簡単すぎる勉強、つまり自分に合っていないと思う勉強、やり方が決められている勉強・・・これらが辛いのだという話になりました。

なんでそこに、主体者の権利がないのか。

きっとそこが、公教育に最も必要な要素なのではないか、と私は思っています。

長女はいつも誰よりも主体的に私の勉強会に参加してくれます。それでも今日のテーマは面白くなさそうでした。だって、どう考えても大人都合だもんね、このテーマが。本当に反省。

そう、そこに選べる自由がないというのは、こんなに面白さを奪っていくのだと、自分で言って自分でやってしまっている。失敗しながら、挑戦し続けていければ。